Mikae Natsuyama
Belles Chansons プログラムノート
砂川 巴奈歌
フランスの声楽曲において、詩や言葉を重視して作曲する伝統はルネサンス期に始まり、20世紀に至るまでフォーレやドビュッシーなどの音楽家によって革新されました。16世紀後半から17世紀のパリにおいて、フランス語をいかに美しく、自然に歌うか、そんな追求の中で創作されたのが、エール・ド・クールでした。それは、イタリアからやってきた音楽家リュリが「フランス音楽」を確立する前のこと。フランス語の洗練とともに、フランス語から生まれうる旋律が歌われた時代でした。
「宮廷歌曲」を意味するこのジャンルは、文字通りパリの宮廷やサロンで大変親しまれ、多くの楽譜が出版されました。エール・ド・クールという言葉が最初に登場するのは、リュート奏者でもあったル・ロワが1571年に出版した《エール・ド・クール集》においてです。その中で、エール・ド・クールとは「かつてはヴォワ・ド・ヴィルと呼ばれた歌」であると記されています。ヴォワ・ド・ヴィルは16世紀において、宮廷詩人たちが書いた詩に舞曲やよく知られた旋律をつけて歌った習慣から生まれたジャンルでした。それらは次第に言葉と音楽の両面でさらに洗練され、エール・ド・クールと呼ばれるようになったということです。
17世紀半ばにかけて、ゲドロン、ムリニエ、ボエセらがエール・ド・クール創作の一時代を築きます。ルネサンス期の書法を受け継ぎ、それまで重唱、あるいはリュート伴奏付きの独唱として書かれていたエール・ド・クールは、次第にソプラノとバスの声部が優位に立ち、次の世代のランベールやカミュといった作曲家によって「ソロと通奏低音」という書き方に変化していきます。すると、ソロとして声が優位になることで、より言葉を重視した旋律の展開、歌詞のさらなる表現が可能となり、エール・ド・クールはその全盛期を迎えます。
その素朴でありながら美しい旋律線は、弧を描いていくようなシンプルな形で、三和音を基本とする単純な和声で支えられています。このような飾り気のないシンプルさを美とする価値観は、当時の社交界で求められた、「オネットム honnête homme」というフランス独自の概念に由来するものでした。17~18世紀の宮廷やサロンでは、努力を見せない自然で優美な振る舞い、そして言葉遣いや雄弁術などが求められました。その精神は、社交界で展開された芸術や文芸にも影響を与え、もちろん、エール・ド・クールを創作した詩人や作曲家たちも、そうした場所で交流していたのです。
フランス語が洗練されゆく息吹を感じて作られた音楽は、言葉を自然に、美しく飾っていく妙技を花開かせました。ドゥーブル(Double)という演奏の手法です。エール・ド・クールは歌詞の各節を同じ旋律に乗せて歌う、有節歌曲の形式で書かれています。サンプル(Simple)と呼ばれる1節目を元歌で歌い、その旋律に対して美しい装飾やディミニュシオンと呼ばれる変奏を施し、2節目のドゥーブルを歌います。いかに「趣味の良い」ドゥーブルを歌うかということは当時のエール・ド・クールの演奏において重要な関心事であり、多くの歌唱教則本では装飾の項目にページが割かれることとなりました。こうした演奏法は、単に音楽的な繰り返しを避けるだけでなく、詩節によって異なる歌詞を同じ旋律で自然に歌うための役割もありました。
ランベール〈忠実であることはQue me sert il〉サンプルの冒頭の旋律
ランベールが作曲したドゥーブル
この譜例にあるように、ドゥーブルではディミニュシオンや装飾でサンプルの旋律が美しく飾られます。歌詞に注目して、サンプルとドゥーブルの冒頭の小節を見比べてみましょう。サンプルでは、Que me sert という最初の3つの語に対し、3つの同じ音価の音符が並んでいます。しかしドゥーブルでは、一つ目のCe(「この」の意)という単語の音価が引き延ばされ、Ce seroitという3音節の音価は長―短―長というふうに変形しています。これは、Ceという語の音節が長いのではなく、seroitという単語の2音節目(下線)の音のほうが強いためです。このように、言葉に沿って旋律を飾る工夫がなされているのです。
しかし、言葉に沿った趣味の良いドゥーブルを作曲することは、当時のフランス人たちにとってでさえ、容易いことではなかったようです。声楽教師であり、エール・ド・クールの作曲家であったバシイは、エール・ド・クールを歌うためには、歌手や作曲家は言葉の「音節の長短」に関する知識を持つべきであると主張しました。フランス語は、他の言語と比較して言葉のアクセント、強弱があまりありません。詩は、古代ギリシャ・ラテン語やドイツ語の詩のように、イアンビック(短長格)、トロカイック(長短格)といった韻律の「型」に言葉をはめるというよりも、言葉の音節の区切りによってリズムを生み出します。そのため、言葉の並びが異なればアクセントの位置が変わります。つまり、同じ旋律で異なる歌詞を歌う有節歌曲の形式では、歌詞の1番と2番とで、詩行の中でアクセントの置かれる位置が動き、時にフランス語として不自然な歌い回しになることがあるのです。音節をはじめから「強弱」や「長短」に区別することがないフランス詩にとって、言葉に音符をつける作曲という行為には、言葉の音節に「長短」や「高低」を与えるという意味で、少なからぬ相容れなさがあるようです。
このような葛藤を、実はルネサンス時代の音楽家や詩人がすでに経験していました。詩人バイフや作曲家のル・ジュヌ、モーデュイなど、「韻律音楽musique mesuré」の創作者たちです。彼らは、詩と音楽の結合によって聞く人の情念を動かすというプラトン的な理想を求め、「詩と音楽のアカデミー」を組織して創作を行いました。その詩は、フランス語に古代ギリシャ・ラテン語の長短格を用いた韻律をあてはめて作られ、音楽は長脚には長い音価の音符を、短脚には長脚の音価の半分にあたる短い音符をあてて作曲されました。こうした方法は、フランス語を長短韻律によって表現する難しさに直面し、廃れていきました。しかし、音節の長さと音符の長さとに、どのように折り合いをつけるかという問題意識は、その後17世紀を通じて生き続けます。バシイが、エール・ド・クールの実践に「音節の長短」に関する知識が必要だと考えたのも、そのためです。彼はその教則本において、「音節の長短」をどのような規則で判断し、どのような装飾をつけてドゥーブルを歌うべきかを示しました。そうすることで、フランス語と音楽の相容れない問題を、演奏によってカバーできることを伝えようとしたのでしょう。
17世紀フランスでは、様々な「良き歌唱法 l' art de bien chanter」が考察されました。そのモデルとなったのが、歌手としても名声を得ていたランベールでした。彼の作品は当時、2つエール・ド・クール集や様々なアンソロジーを通して300曲以上出版されており、その数からも評価の高さが伺えます。ランベールの特徴は、イタリア音楽の影響を受けつつも、言葉や音楽語法の繰り返しによる強調表現、対位法的な複雑さを追求するのではなく、フランス詩そのものを尊重し、フランス語の歌詞に寄り添う旋律や装飾が付けられている点です。ランベールの作品において、エール・ド・クールが、ひいてはリュリ以前の「フランス音楽」が、頂点を極めたといっても過言ではないでしょう。
宮廷やサロンにおける言葉と音楽の関わり、言葉を尊重する歌唱法に考えを巡らせた歌手や作曲家たち、そしてその作品数の多さ――エール・ド・クールは、フランス詩と音楽が歩み寄りながらも葛藤し、紡いできたその系譜の、一時代を築いたのです。
砂川 巴奈歌 - 国立音楽大学音楽学部音楽文化デザイン学科卒業後、東京藝術大学大学院音楽研究科音楽文芸専攻修士課程修了。現在、東京藝術大学大学院音楽研究科博士後期課程に在籍中。
専門は16世紀から18世紀のフランス詩の韻律と音楽の関係

